KinKiさんな人生
私の自己紹介をする上でもう一つ欠かせない事。
人生の一部と言っても過言ではない、KinKiさん達のお話を。
小学生時代の私の夏の恒例行事は、家族で旅行ついでに行くSMAPの地方ライブだった。
当時は、母親が木村兄さん。私は中居くんの事が、結婚したいと子供心に本気で思うほど大好きだった。
車内では、いつもSMAPが流れていた。
教室ではSMAPよりもKinKiが話題になっていて、所謂
「どっち派??」
ってやつで盛り上がっていたけど
「SMAPが可愛がってる、同じ苗字の関西の2人組」
当時の私は、そんな感覚でしかなかった。
けどその数年後。
中学生になって反抗期に突入して、自分自身を模索し始めたくらいの頃。
たまたまMyojoか何かで目にした剛さんのエッセイで、電流が走ったみたいな衝撃を受けて、そのまま涙がぼろぼろ止まらなくなって、堂本剛という人間に、一気にどっぷり堕ちた。
「ぼくの靴音」
連載、第1回目だった。
アイドルなのに。
いつも、あんなにニコニコ、キラキラしてるのに。
そのエッセイの中では、それはそれは優しい文章で自分の弱さを吐露していて。
あぁこの人は、なんて人間臭いんだろう。
なんて繊細な人なんだろう。
凄く遠い人な筈なのに、一気に親近感が湧いた瞬間だった。
そこからは、まぁ早かった。
発売されていたCD、円盤(当時は、VHS)に、お小遣いを費やし、KinKiさん達がよく言う「拓郎世代」な父親のおかげで「LOVELOVEあいしてる」は、毎週自然に追いかけるようになっていたし(当時、22時以降はTV禁止!!という家庭環境だった為、しっかり録画で)、出演ドラマも欠かさずチェックするようになった。
ただ、当時の光一さんに関しては、暫くの間は剛さんの隣にいる面白いお兄さん(ごめんw)くらいの感覚だったのが、これまたはっきり電流が走った瞬間を覚えていて。
高校生の頃に行った、夏の浜スタ。
台風で途中中止になった、あの夏コンで。
2人が、お客さんが退場するのをステージに立って見送ってくれていた時。
ふと、スタッフさんが後ろから光一さんに傘を差し掛けたんだけど、光一さんがそれを振り払う動作をして。
ありきたりな表現だけど、なんてかっこいいんだ!
って。
本当に一瞬の出来事だったけど、堕ちるには充分過ぎた。
そこからはずっと、気付いたら。本当、気付いたら、という表現が一番しっくりくるほど自然に、どちら寄りでもない、ftr推しになった。
高校1年生からほぼ毎年、東京ドームには通った。
社会人になってからは、お金と時間が許す限り、地方公演も追い掛けた。
自分自身にいっぱいいっぱいになり、離れてしまった数年の期間もあるけど。
人生の傍らには、いつもKinKiさん達がいた。
私の青春はKinKiさんと共にあったので、もちろん旦那さんもそこはよく理解してくれていて。
結婚する前
「KinKiゴトに対する奉納は、義務だから惜しまないよ!!」
って言ったら
「知ってる」
と、笑ってくれたので、独身時代よりも罪悪感なく、心置き無くヲタ活出来そうで、助かっております。笑
家族揃ってSMAPコンに行くのが恒例だった私のお家のように。
いつか、旦那さんを連れてKinKiコンに行くのが、今の私の夢です。